「51歳の時に、主人が心筋梗塞で急逝。その後、杜氏を引き継いだ。『いつまでそこにしがみついているの、早く息子に譲ればいい』と言われるけど、しがみついている訳じゃない。ある程度のところまでは子供ができるように育てて、もうこれなら大丈夫だと思えたら手を引こうと考えている」
随分できないことも増えてきたしそろそろかな、って穏やかに語りながら、ピシッとエプロンを締め、凛とした手つきで小さいお猪口に焼酎を注いでくれる寿福酒造のお母さんの姿に、私はすごく、安心した。
「いつかはできなくなる」という現実を、寂しすさではなく覚悟として抱きしめる。今 という瞬間を、自分の意志で味わい尽くすような彼女の横顔に、喉の奥に詰まっていたものがスーッと溶けていく感じがした。

私も同じような言葉を受けてきた。
「いつまでも執着してないで、もう手放しなよ」
その度に、私を思って言ってくれているんだと、本心を飲み込んできた。
キャリアを捨てて20年と続く専業主婦を選び、家庭に入ると決めた時。私は私なりに、やり遂げると決めたことがあった。それは執着ではなく、自分に対する誠実さであり、やり遂げる責任だった。ここまで、と決めたゴールに辿り着くまでは、自分の足で走り切りたかった。これは他でもなく私の思い。
それを、相手の価値観という色眼鏡で見られ、「執着」という安っぽいラベルで貼り替えられていたのだと、お母さんの話を聴きながら気づく。
それは私にとっては 尊厳の蹂躙 に等しい感じがしていた。その嫌だった気持ちを飲み込んで、当たり前として扱いすぎて、自分でも気づかないうちに心の奥で燻らせていたのだとわかった。
外側から 執着 に見えるものは、内側から見れば やり遂げる責任 とも言えたり、外側から見えるものとは別物になり得る。お母さんが魅せてくれた「自分で決めたタイミングまで、今を味わい尽くす」という生き方。決してひとりではないという共感は、孤独から連れ出してくれる力が強い。心の襞に共鳴できる存在がいるだけで、心はこんなにも軽くなる。言葉で寄り添うのとは違う深い共感を体感した。

今回の人吉リトリートでは、たくさんの方と出会った。
2020年に起きた球磨川の氾濫による水害の傷跡は、人々の語りの中に、そして街の風景の中に刻まれている。その悲惨さは、映像も写真も色々見せてもらったけれど、体験した方の「声」が一番物語る。音の力はすごい。

現実や真実は、残酷。
自然の偉大さや力強さは、肌で感じてきたと、思ってきた。
けれど、そんなのはただの傍観でしかなかった。
私自身、これまでなんの苦悩もなく生きてきた、というつもりはないし「まさか自分がこんな思いをするなんて思わなかった」と、辛くて打ちひしがれたことだってある。
だけど、人吉の方の話から聞く現実には、呆然とした。
私のこれまでは、耐えられる現実しか見てこなかった気がした。
耐えてきた。
そうだった。
私にとって、生きるために必要なことは 耐える だった。
何かをやり過ごすために耐える、んじゃない。
辛さや違和感を抱えながらも、それを当たり前として飲み込み、前へ進む。それが大人であり、生きるための唯一の術だと思い込んできた。
この当たり前がなかったら前も向けなかった。私にとっては必要な「耐える」だった。
辛かったな。
そんなことにも気づかないくらいの当たり前があった。
でも、それは本当の意味で「生きている」と言えるのだろうか。
私にとっての「生きる」ってなんだろうか。
いろんな人と接する度に、揺さぶられた。

当時の話を乗り越えたものとして「今」を語ってくださる方々。
あの想像を絶する絶望の渦中にいた方が今こうやって在るのは、ただそこで踏ん張っていただけじゃない。
「生きたい」という根源的な欲求を決して手放さなかったからだと私は受けとった。
みなさんから感じた気迫は、本能の叫びに突き動かされて生き抜いてきた人じゃないと醸し出されない。強いけど威圧的じゃない、優しいけど弱くない。圧倒されるほどの在り方は、こうやって磨かれるのだと、すごく迫られた感じがした。

心からの本心である`リアルサウンド`を大切にしているアロマ音叉®︎セラピー。
「本当には、どうしたいの?」
クライアント様の内側を引き出し、その希望に宇宙の応援が入るお手伝いをさせてもらっている。
この数年でここまで復興している人吉の街はすごい。
話を聞かなければどれほど壮絶だったかなんて、表面的には到底わからない。けれど、まだまだとはいえ、ここまでになれているのには、「生きたい」という強い思いから集まったあらゆる応援に宿った愛の力がある気がした。
そうだ。
表面的にはわからないなんて、当たり前だ。
人はそもそも奥深いのだから。
表面的にみえるものの奥の奥を想像して、想いを馳せることができたなら、きっと蹂躙なんて言葉もない。
まっすぐに共鳴した共感と愛は大きな力を生むんだと、前回に引き続きまざまざとみせられた今回のリトリート。
胸がいっぱいになるわけだ、と、ひとりごちた。
手を合わせたくなるくらい、感謝でいっぱいになる。
話を聞かせてもらって。
その場に一緒に居させてもらって。
握手で触れ合わせてもらって。
こんなに素敵な人と出会えて。
出会わせてもらって。
生きてくれていて。

どれだけの人が、自分の中にある「生きたい」に気付いているんだろう。
ここまでつらつらと綴ってきて、本音を導き出すお手伝いをしている私自身が「耐える」という古い成功法則に縛られて、自分の「生きたい」という純度の高い欲求に蓋をしていたと気付いた。
「生きたい」をどれだけ感じられているかが人生を潤わせる1歩。
わかっていた気がする。
でも、どこか漫然としてた。
生きたい、ではなく、死にたくない、だったようにも思う。
こうやって言語化することも自分の輪郭を強くする。
話したり、言葉にして残す、継承の意義も私には響いてきた。
人吉の復興を支えてきたのは、泥にまみれながらも「生きたい」と願った、剥き出しのリアルな生命力だと感じた。傷をなくそうともがくのでもなく、ずっと耐えて痛がっているわけでもなく、それが自分の一部かのように受け入れているように見えた。
その姿がかっこよくて、素敵だった。
その域にいけたら、私もあんな笑顔になれるんだろうか。
どこに行って何をするか。そんな表面的な「行動」ではなく、目の前のことを通して、自分の中で感じて響くものが何なのか。人生を潤わせるのは、誰かの色眼鏡ではなく「自分ってこうだったんだ」と気づく、その人の内側にあるリアルサウンド(本音の響き)だ。
そこに辿り着くために大事なのは 「自分と向き合う力」 だと長年思ってきた。
けど、違ってた。
向き合ってコントロールすることじゃない。自分の中にある「生きたい」という根源的な欲求に、どこまでまっすぐ、降伏するように気づけるか。ただ、それだけだった。
もう「耐える」を握っている必要なんて、なかった。
自然はそのまんまだからこそ、ただの綺麗じゃ収まらないところに魅力がある。
人もまったく同じだった。
東京の真ん中。綺麗に整備されたコンクリートジャングルで日頃生きている私が絶賛の人吉。
作られた綺麗に飽き飽きした人にこそ、痛いほどに美しい剥き出しのリアルに触れてほしい。
自らの欲求に、降伏しよう。

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原 麗子
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