私には4年生の娘と2年生の娘がいます。

今年は2年生のPTA学級役員。

1年に1度、親子でふれあいの会が行われ、ふれあいの会の企画、開催をするのが役割です。

2年前の私なら、ふれあいの会での企画などは他の人に任せて

人前でしゃべる事すら恥ずかしくて

一言しゃべるのが精いっぱい。

どちらかと言うと、裏方に回って人のお世話をしたり片付けをしてりしていました。

とにかく、目立つことが嫌で目立たないようにしていました。

「目立つ事が嫌」の裏側には幼い頃から父親の転勤で3年に1回のペース

引っ越しをして新しい学校に行く度に自己紹介をして、注目を浴びる事が嫌で仕方なかった。

本当はみんなと仲良くしたいけど、相手にどう思われるか

また転勤するから仲良くしてもいいのかという思いから

「大人しい子」になりました。

自分を表現して来なかった。

表現してもずっと、お友達でいることは無い。

そんなことを思っていたのかもしれません。

就職して責任者になって、さまざまな場面で人前に立つ事があり

発言する場があり、注目をされる場があったけど

本当に嫌で、事前に台本を作り、話す内容を決めないとしゃべれない。

2,3日前から話す内容の練習をして、間違いが無いように変な事を言わないようにしていました。

そんな私を見てみんなは「事前準備が完璧で何でもできる子」というレッテルのような物を張られていました。

本当の私はそんなんじゃないのに・・・。といつも心の中で思っていて

やりたくないのに、みんながやらないから、やらされている感覚になっていました。

時は戻り、今年のPTA学級役員。

学年で3人、役員がいるにも関わらず、企画、準備は私がほぼ1人でしました。

「3人で話合いましょう」と伝えても返事が返って来ず、こちらの提案を受け身になるだけ。

同じ学級委員なんだから少しは考えてよー。と思いました。

また、やりたくない事を私がするんだ。

今までと変わらないのか。

それなら、私がしたい事をやろう! 子供も大人も楽しめる遊びをしよう! 私が中心となって仕切ればいい!

そう決めました。

そうすると、あら不思議、事がスムーズに運んでいく!

企画を考えるの、嫌じゃない。楽しいかも。

準備は学校側にお願いできたし、当日みんなをまとめるだけでいい。

この時「私、嫌でやりたくなかったんじゃなくて、本当はやりたかった事なんだ」と気づきました。

「嫌」と思っていた事は

「自分の意見が言えないこと」

「自分がやりたい事ではないこと」

「人目を気にしすぎていたこと」

「誰かに評価されること」

だから、「自分を表現する」ができなかったんだ。

こんなで出来事で?!と思われるかもしれないけど

こんな些細な出来事で「自信」がつき「癒される」

自分が好まないことを引き受け続けた事で

「自分が表現できなくなる」

「自分表現」=「感情解放」

ここに辿り着けたのも、アロマ音叉を学んで、音叉の音色を聞いているから

自然と自分を出せる事ができたのだなぁと少し、成長を感じました。

そして当日、人前で話す事が大嫌いな私は終始マイクを握り、司会進行を務めました。

台本も作らず、その時思った言葉を声に出して伝える。

自分が楽しんでいる事を伝えるとみんなの緊張感がほぐれ、その場が盛り上がる。

これが「リアルサウンド」

「リアルサウンド」を響かせる事で共鳴しあい、その場がより楽しい場になる。

2年前の私は人目を気にしすぎて、誰も求めていない「正しいであろう答え」を述べないといけないと

勝ってに思い込んでいて、それが「嫌」になって、自分を苦しめていた。

「リアルサウンド」ではなく「フェイクサウンド」を声に出していたのが嫌だった事に改めて気づきました。

「リアルサウンド」を奏でる事は決して恥ずかしい事ではない。

こんなひょんなことから、自分が確実に変わっている事を実感できる。

ちゃんとリアルサウンドを奏でる事ができている

それだけで、自信がつく。

自分を安心させる事ができる。

自分の成長も感じる事ができる。

これからも自信を持って奏でていこう

私のリアルサウンドを。