「人生の目的は
○△○を通して
人の役にたつこと」
という前提があるとして、
(映画「かみさまとのやくそく」の中で、
http://norio-ogikubo.info)
このことに早く目覚められれば、
幸せの粒子を細かくしていけるのかもしれません。
粒子が細かいとは、隙間に入っていけるということ。
どこにいても、
誰といても、
何をしていても、
していなくても。
そこに在るだけで幸せだと感じられること。
人の役に立つということは、
行為そのものを指すようですが、
それで成り立つ社会のしくみがあり、
それにより報酬を得ているかという価値観があるようです。
多くは、「仕事」を通して人の役に立つこと、
それだけだと、ややもすれば沢山の仕事をより早く、
そうでなければ、使えない人、生産的で無い人と見なされる…。
結果重視に陥りがちになります。
では、少し意識を変えて、
○△○を通して
というところに、「存在」と入れてみる。
人生の目的は
存在を通して
人の役にたつこと。
本当に幸せの粒子が細やかになると、
光りの量が増えて来る。
光りの量が増えるから逆に、
粒子が細かくなるのかもしれません。
そこに居るだけで、すでに役に立っている。
何かをしたからとか、しなかったからとか、
行為そのものは後回し。
自分の資産や資質を最大限に生かすには、
自分を好きであること(自己受容)
自分が何者なのか知ろうとすること(魂の目的)
目の前の人の中に自分を見ること(他者信頼)
ここを経て、他者貢献へと繋がっていくような氣がします。
そうすれば、無条件で自分の存在を認めていくことが出来てくる。
無条件に自分を感じられるときってどんな時?
「自分を感じるなんて、どうでもいいこと」
そんな風におっしゃる方もあるかもしれない。
感じないことが楽なことであり、
平和なことであり、
安らかなことだ、というふうに。
矛盾を感じないように、
波風を立てず、ことを荒げず息を潜めて…。
むしろ、そんな人の方が実は、とっても感じやすい人。
感じると傷ついてしまう。だから
感じることに疲れてしまってスイッチを切ってみた。
すると無駄に時が流れていく。
その、”時の海”に体を浮かせ、ぷかぷかと漂っている状態。
漂流という手応えのない人生では、
溺れないようにすることで精一杯。
ちょっとしたことで、すぐに溺れそうになる。
実際に溺れるように感じられることも、
しばしばかもしれません。
罪悪感と無価値観を植え付けられた過去
自己否定は自分が許せないという思い込み
それらはコントロールだったことを知ることで、
抜け出すことが出来るようです。
コントロールを抜け出したとき、
真の自分の使命に気づき、
それに沿って生きることが可能になります。
あなたは、
自分の使命に沿って、生きていますか?
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