これまで リトリート とは、自然に触れて力を抜いて、カラダにいい食事をとって、非日常を味わってエネルギーをチャージして日常に帰る、というリラックスメインの旅行のイメージを持ってた私。

風の時代に入って、あちこちに溢れるようになった 気づき という言葉。セラピーの現場で触れるそれは、ただの感想や思考の整理ではなく、自分の深い意識の根底を揺さぶるもの、だと感じるものの、

両者とも結局は何なのだろう?と、どこかずっともどかしさが私の中に燻っていた。


協会主催の #人吉リトリート。認定講師にいち早くアナウンスがあった春、一番に感じたのは「怖い」という感覚。楽しみやワクワクはあるのに、直前まで、すんなり行かない抵抗感があった。

そりゃそうだよね。自分の中で燻っているものが急に爆発的に解消されるなんてわかっていたら、ビビって行かなかった(笑)

今ならわかる。私が感じていた「怖い」という感覚は間違ってなかった。突きつけられる真実に怯えていたのは、それが私を大きく突き動かすものだと、心のどこかで知っていたから。


長年、いろんな気持ちを感じないように蓋をして、波風たたないように静かに、つまらなく生きていた私。その割にはしっかりと大波に襲われてなんかうまくいかないとコントロールしなきゃと自分を急き立て、周りのように上手く生きれない自分を(無意識に)責め続けてた頃は、感覚に頼る、なんて無謀だと思ってた。その時からすると、今の私は、無謀で無防備すぎている、(笑)

ちゃんと感覚のセンサーが使えるようになっている「自分が戻っているんだ」と実感できるたびに、本当にうれしい。私が嬉々として喜んでいる。成功とかうまくいってるとか本当にどうでもよくて、ただただ本当に嬉しいだけ。うれしい時って、内側が心地よく震えてるよね。この感覚が「幸せ」じゃない?

リトリートは「今の自分を実感できるチャンス」と思ったけど、こんなのは気づきじゃないと後々わかる。


内なる声を知る、最も根源的な体験


今回のリトリートは、自然豊かな中で過ごす2泊3日。美味しいご飯、神社の参拝、歴史に触れる時間。知的好奇心も、魂の好奇心も、あらゆるものが満ちる時間。

全てを通して、ハッ!とする体験をした。

気づきは、情報でも思考の整理でもなく、頭でいくら考えても出てこない内側の「魂の声」を知ること。そして「気づき」は最も自然で、根源的な体験によって得られること、だと、ポンと自分に入ってきた。

これが入り口だった。


自然からの問いと「愛しい」という真理

リトリートで触れた自然は、その真理を私の心に畳み掛けるようにまざまざとみせてくる。

透き通って澱み一つない滝の水。
潤いすぎて生き生きとしすぎる森の木々や苔。

これらと同じ、自然の一部であるはずなのが
人間。

「あなたはどうなの?」と、
真正面から逃げることを許さず突きつけてくる。


リトリートを包んでいたのは、主催で在るアロマ音叉療法の師匠 佐藤マイア さんによる「手を掛けられる人の優しさ」と、ありのままで在る「手を掛けない自然の優しさ」。

その陰と陽が統合される中で、ザバザバとした滝の流れ、果てしなく拡がる波紋、満ち足りて止まらない自然と、私自身が共鳴するのがわかった。

「もっと、尊め」

私にまざまざと見せつけた溢れる尊さは、他ならぬ、私自身の中にもあったはずのもの。

「音は耳ではなく肌で感じるもの」という師匠の言葉が、全身を駆け巡る。



自分のなかに「わからない」があるとき。何を知りたかったり、どうなりたいのかと揉むとき。その「在り方」が見えないのは、自分の中にある尊いエッセンスに、気づいていなかったからだ。

自分ってこうなんだ、の感覚は、何が自分と繋がっているのか(共鳴しているのか)に気づくことで、鮮明に見えてくる

癒しの現場でよく使われる「自分を取り戻す」
結局、一体何なのか?


私は今、強く思う。


自分の尊厳を深く確認すること、なのだと。

共に過ごす時間を通して、ただその姿を示すことで真実を見せてくれるのが、リトリートという場所で、目の前に映るものと自分との共鳴の仲介をしてくれていたのが、あらゆる「音」だった。

自分を大事にする。
これが出来ないから生き辛さが横行してる世の中。
なぜ大事に出来ないのか。
その1つの答えに自分の尊さをスルーしてるからだと気付かされる。

あぁそうか。。。

なんかわからないけど、すっと自分に入ってきて、
力が抜けるのがわかる。

そうそう、この感じが 
「癒し」

思考でなんとかなるものじゃなくて、目の前から受けとるものに気付いて、癒しが起きるから、内側から沸き上がるものがある。ここにこそ、本当に自分が感じたいもの「気づき」がある。

深く潜れば潜るほど、その魅力に囚われて15年。すべての癒し、水、そして「音」を通して、感じられたのは、ただ一つの、心の震え。

愛しい。

私は、この愛しいを明確に知りたかったんだ。愛しいを感じて大事にすることが、自分を尊ぶことだと、教えてくれたんだ。

魂の震えを待つあなたへ

私は、ずっと本気で人や出来事をなんとかしたいという思いを持った方々に救われてきた。彼らが諦めなかったからこそ、ご縁が繋がり、友人が当時困っていた私の手をとり、これが必要だからとそれまでとは違う世界に手を引いてくれて、今の私が、ここにいる。

みんなが向けてくれていたのは、私に元気になって欲しいという思いだとずっと思っていて、そこに応えたい気持ちでずっとやってきた。

けど「元気になってほしいという思い」の根底にあったのは愛しむ心だったんだと気づいた。

彼女たちはみんな、自分の中にある尊さを愛しい気持ちを通して、ずっと届け続けてくれていた。


私はなんて幸せなんだろう。

あの時、あの出来事が一つでも欠けていたら、どうなっていたかなんて、今となっては簡単に想像がつく。私はどれだけつまらない人生を送って、死んだ笑顔で過ごしていたか。

そうじゃない自分になりたかった、どうしても。なにより、最高の人を選んだ夫を誰よりも愛し、娘の最大の優しい味方でありたかった。それが叶ったからこそ、この尊さを家庭の外にも届けようと、強い思いを抱くことができるまでになれた。

困ってないけど幸せでもない、燻っているあなたへ。
何をやってもしっくり来ない、と感じているあなたへ。
自分にはもっと何かあるはずだと、感じているあなたへ。


あなたの中には、まだ気づかれていない根源的な「欲」が眠っている。


それを知るためのきっかけが、今、必要なのかもしれない。


「もっと尊め」

リトリートが私にくれたこのメッセージが、あの時、私の手を握ってくれた友人のように、あなたの心に触れることを願いながら、この貴重な体験を綴ることにした。

魂が震えるほどの自分の価値を確信する瞬間は、頭の中ではなく、根源的な体験の中にある。

もう、頭で考えるのは終わりにしよう。
人生の問いが爆発的に解消された時に内側から湧いてくる感覚を、
自分が自分を幸せにしてくれる感覚を、
あなたは知ってみたいと思わない?


偽物の気づきを手放したあなたの尊厳が
ここであなたの帰りを、あなたが戻る のを、
待っている。


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